【まとめのまとめ】
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見なかったことにしても
事実は変わらなかった
K子とは小学校からの
同級生で家族ぐるみの
つきあいがあった
中学生の頃にはいつの間にか交際
勘違いしてたわけではなくて
告白のシーンがないまま
一線を超えたコース
大学二年の時にK子が妊娠
して俺は勿論大喜びさ
両家親は休学などもさ
せなければならないため
避妊失敗について俺とK子を
こっぴどく叱りもしたが
次第に孫はよ生まれんかな
ムードで円満結婚へ向け準備
そんな中K子は上の空や
乾いた笑いが増えていった
付き合い長い分妙だなと
気づいてはいた
そのタイミングのそれが暗示
する内容に恐れをなして口に
出せなかった
妊娠判明から二ヶ月程して
学生寮にいられなくなるので
二人して新居へ移った
その頃からやたらサークルの
先輩であまり話さない院生の
T司さんが新居に遊びに
来たいというようになり
何度か招待した
出産予定日まであと一月という頃
サークル会長のM実さんに
話があると呼び出された
待ち合わせの
カラオケボックスの大部屋には
サークルの大半のメンバーや
俺と仲良い連中が揃っていた
「痛々しくてみてらん
ないから言うけど
あんたこのまま結婚して
たって幸せなんか絶対なれないよ」
からはじまってT司とK子が
関係してる事を主張する
「そんなわけあるか余計な
お世話なんだよ!」
今思えば怒鳴るってことは
聞きたくないってことだった
生まれた子供は子供はK子似の男の子
K子は出産後から人が
変わったかのように俺との
接触を露骨に避けた
出産したら男から子供へ
大事な対象が移るという
やつだと言い聞かせていた
やたらと一旦家に帰って
サークルに子供を連れてきて
T司に触れさせるところも見ていた
気づきたくないなんて逃げを
打っていたのは大間違いだった
M実を始めとした一同は
手遅れになる前にと何度も
時間を作っては諭そうとして
くれていた
ある日家に帰るとK子が
ものすごい大慌てで
着替え中と声を張り上げた
そして何かもめるような
声とともに嫁の部屋の扉が
開かれてT司が半裸で姿をあらわした
俺の怒鳴り声と子供の
鳴き声だけおぼえてる
真相のほうが待ちきれずに
向うからやってきた
自分の事なのに何も出来なかった
ほとんど両家両親やM実他の
他人任せで進んだ
要約すると俺はT司に恨まれていた
その理由はサークルに入った
時俺がT司じゃなくてM
実さんを慕ったから
サークル内では派閥があって
多数派のM実派閥と少数派の
T司派閥だった
で、めでたくふざけた野郎
リストに入った俺のことをT
司はすぐに別の理由で憎んだ
その理由はT司の恋愛
経験じゃつきあったもない
グレード(本人談)の女と
できてたから
そんなわけで復讐の方法も
決めたらしい
K子の言い分はこう
俺との交際ではなかった
熱情的な迫られ方にポーッと
なってしまい
断りきれずに関係を許してしまった後
ずるずる回数を重ねていく
うちにいつしか好きになって
いたとのこと
この二人のやりように激怒
したのは意外にもK子の両親
俺にこれ以上の迷惑
かけまいと俺の両親とタッグを組み
T司とその両親相手に激しい
バトルをすることに
その最中の俺はといえば脆かった
世間知らずでごめんと
言いながら復縁を求めるK子やら
だから早い内にって
言ったのにと言ってくる友人
衆の苦言に耐え切れず
自●未遂起こして精神病院へ
出子取り消しは夫じゃなきゃ
裁判が出来ない上に時間制限付き
つまり俺は人生投げ出す
タイミングが悪かったおかげで
T司のガキを育てなきゃ
いけない法的な義務まで背負い込んだ
一時は一人でいても
まるで何人もの人間と喋っ
てるかのような状態になってたらしい
入院期間通算三年で退院した
時は世界は激変していた
楽しかった大学はいつ
戻るとも分からないからと退学
戻った家も当然田舎で弟や
妹からは精神を病んだ厄介者扱い
そんなだから求めた我が子の
ように俺の事も思ってくれた
K子両親とはまったく連絡が取れず
実の両親からも腫れ物扱いの
まんま約一年
変な事をされても困ると通信
環境すら持たずにただ
静養という名目で軟禁状態だった
それがおかしいと気づいた時
さすがに二度も逃げ出して
失敗した経験が事態に向きあわせた
真夜中に親の鞄の前で手を
合わせてから財布から資金を
抜き取って一路母校へ
サークル棟の懐かしの部室で
顔ぶれの変わった後輩しか
いないとこで
同期のOBの連絡先を調べて
片っ端から電話
皆そりゃ薄情なもの
だって忠告に耳を
貸さなかったのは俺だったしな
けどM実さんはちゃんと
仕事も切り上げて
待ち合わせに応じてくれた
M実さんの口からは後追い自
●を試みて成功したK子の話をきいた
それを知って実家に
帰ってから何が起きたのかを
両親に問いただした
K子のせいで折角助かった
俺までもう一度なんて
なったらもう生きてい
られないといって
この子供は責任もって
引取りますといって去って
いったK子両親の話
妹も弟も本当は俺の事を
厄介者扱いしたかったわけではなく
まともに相手してたら口を
滑らせそうだから厄介者
扱いを演じてたと聞いて
虫も●せなさそうなって言わ
れる事ばっかだった俺の中に
邪悪さってやつが宿った
支援いる?
誰も俺の味方はいなかった
皆の名誉の為に言うと
それだけ俺の様子が
危なかったんだと思う
自分が教えたからT司が●さ
れたとかなるのを警戒してた筈だ
社会人だからな
ともかくめげずにT司の行方を追った
当初分かったのはK子の自●
後海外留学の為にとかいって
退学した事だけ
結局人伝てに知ってる人を
探す試みは完全に失敗した
在学中薄々感じていた
やたらと自分をひけらかす
のが好きな性分がまだ治ってないなら
何かやってるはずだと思って
通信環境を手に入れた後で
ネットで検索してみたら
漢字ではいきあたらなかったものの
アルファベット表記でなら
本人と思えるSNSの
アカウントに辿り着いた
やたらと羽振り良くゲームに
かねつぎ込んでは自慢して
賞賛を浴びるパターンの
やりとりばかり
コメントを見ていくと
フレンド以外には見えない
記事もありそうなかんじだった
だから俺はバイトを始めて
資金を捻出しつつ同じ
SNSに登録し同じゲームをやって
よくコメントを残すように
して半年がかりでフレンド
申請を受理させた
ほんと、写真見た時は
泣きながら大笑いした
もう運命なんだなこういうのって
髪を染めたり化粧をしてたり
してたが本人だったよ
海外留学は確かにしてたけど
短期のいくつかの講座習得のためで
結局一年後には日本に戻って
別の大学院に入りなおし
修士号をとりおえ今は博士に
向けて頑張ってるなんてかんじだ
2つの家がボロッボロになってるのに
お優しくて金回りの良い
ご両親の支援で順風満帆ってやつだ
で、T司とフレンドに
なってから足掛け三年
オンライン上の舎弟になった
ちょくちょく偉ぶっては俺の
プロフィールにある大学
中退のことをあげつらって
飛ばされる説教にはT司が
満足するよう弱々しく振る舞い
親不孝だのなんだのと言う
その言葉にもきれずに都合の
良いサンドバッグにもなった
婚約成立は真っ先に祝い
自分から式場選び
しなきゃっすねと言って
話題を振っては手伝いますと
率先して言ってリストをこさえた
下見にいったら交際相手が
不機嫌になったぞと理不尽な
文句をつけられても平謝りして
翌朝までには次のリスト
つくれなんていう無理
難題にもへいへいと応えた
そうやってやっと、式場も
日程も知った状態でその日を迎えた
忙しくて式にはでれないけど
挨拶しにきた新郎新婦の
トモダチヅラして入り込む
ところは賭け
あっさり通った時にはまたも
運命ってやつを感じた
俺の顔を見た時と俺が自己
紹介で名乗ったハンドル
ネーム聞いた時のあいつの
顔は最高だったよ
警備員とかいきなり叫ぶ
もんだから自分でギャラリー
増やしてやがる
いかにもまずいことを
隠そうとするやつの態度だった
おかげで俺の発言に
信憑性ってやつが増した
自分の子供を俺に押し付けた
上に利用された女を自●に
追い込んでおいて
よくまあそれだけの悪行その
人と結婚が出来るなって
ご自慢の就職先や
選りすぐりの友人関係やら
色々と揃ってるその目の前で
堂々言ってやった
無念極まりないのはT司には
ちょっと耐え切れない蔑視が
集まりすぎたらしい
悪逆披露宴から一週間も
せずにあっさり自分で自分の
命に始末つけてしまった
全部を終えた後K子の両親と
連絡をどうにかつけてそっちで暮らし
子供には俺が養父だと教えて育ててる
子供まで不幸になったら
K子があんまり可哀想だ
それに、こうなった以上はT
司の生きた証は子供から親と
思われるところすら残させない
幸い父親に似ないいい
子だから親心もちゃんと芽生えた
皮肉なことにいまではT司の
家が血縁上の孫だから返せと
主張する側だよ
ま、そんなかんじ
ありがとう
こんな暗い話で悪かった
いや、文章上手くて良かったよ。
代わりに子どもを育て
れるなんてお前は尊敬に
値する人間だ。
出版したら良いと
思えるくらいだった…
こんな言い方おかしいだろうけど、
感動した(T_T)
お子さんとK子さんのご両親、
実のご両親共々
あなたが幸福な日々を
送れますように祈ります
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